ここ最近、鎌倉や京都でお寺を訪ねることが増えました。
山門をくぐり、境内を歩いていると、ふと「これは撮っておきたい」と思う景色に出会います。
角度を変えたり、離れたり近づいたり、人が通り過ぎるのを待ったり、撮影の列に並んだり。
ひとりだと 気兼ねなく 納得のいく一枚を撮ることが出来ます。
満足のいく写真が撮れたら、近くの甘味処や和菓子屋さんを覗くのもいつものお決まり。
何にしようか迷う時間も含めて、ひとりだから味わえる贅沢だなと感じています。
そんな「ひとりで過ごす満足感」について、最近ふと気づいたことがあります。
実は私、若い頃にモンテッソーリの教員養成コースに通い、ディプロマを取得、保育の現場でモンテッソーリ教育に携わっていた時期もあります。
モンテッソーリ教育を受けた方といえば、最近は将棋界の藤井聡太さんが有名ですね。
モンテッソーリ教育には「集中現象」という考え方があります。
子どもが何かひとつの活動に没頭し、周りの声も届かないくらい集中して、満足げな表情でその活動を終える瞬間のことです。
誰かに指示されたのではなく、自分で選んだ活動だからこそ生まれる、深い満足感なのだそうです。
これって、私がひとり旅やひとり散歩をしているときに感じる、あの感覚と似ている気がします。
ひとり時間に隠れている「集中」

考えてみると、ひとりで出かける時間には、この「集中」がいつも隠れている気がします。
電車に揺られながら、次の目的地までの道のりをGoogleマップで確認する時間。
お店のメニューを眺めて、今日はどれにしようか吟味する時間。和菓子のショーケースの前で、季節の限定品といつもの定番、どちらにするか本気で悩む時間。
だれかと一緒だと、つい相手に合わせたり、会話に気を取られたりして、こんなに一つのことに没頭することがないような気がします。
ひとりだからこそ、目の前のことだけに集中できる。
そして、それをやり遂げた時のささやかな満足感が、ひとり時間の醍醐味なのかもしれません。
子どもが教具に没頭する姿を見守っていた頃、いつも活動を終えると穏やかで満たされた表情をしていました。誰かに褒められるためではなく、自分自身が「やりきった」と感じられたことへの満足感なのだと思います。
今、写真を撮ったり、甘味処で和菓子を選んだりしている私も、きっとそんな顔をしているのかもしれません。
大人にも、年を重ねた人にも
最近はモンテッソーリ教育の考え方が、高齢者の介護の現場にも取り入れられているのだそうです。
子どもの主体性や尊厳を尊重するという理念を、高齢者や認知症の方の介護に応用したもので、「モンテッソーリケア」と呼ばれているのだとか。
「自分で選んで、自分のペースで満たされる」ことの心地よさは、子どもも大人も、年を重ねた方も、きっと変わらないのでしょう。
これからも、ひとりあそびのカテゴリの中で、こんな視点から見つけたことを、少しずつ書いていけたらと思っています。
次は、孫世代に贈るモンテッソーリ系のおもちゃについても書いてみようかなと思っています。


